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2015年の総括

参ったな、2016年も明けてもう1ヶ月が経ったのに、まだ前年の総括をしているのか。いや、総括自体は終わったのだけど、それを言葉でまとめることができていないのだ。DIGが途中で尻すぼみになってしまった。言葉が途中で尽きてしまったのだ。


この1ヶ月の間にも、少しずつ新しい発見や目標が出てきているのに、DIGが終わらないと気持よく次に進めない。それでも、このままストレスばかりを溜めていってもよくはない。DIGをするための言葉がない。自分から逃げることになるんじゃないかと自分を縛り付ける。こればっかりは、旬が過ぎてしまったのだと、次に進む方がいいだろうか。


ええい、まずは箇条書きでもなんでもいいから、今の自分にやれるやり方で書いてやれ。



2014年は内面世界(目に見えない世界/心眼で捉える世界)の表現に大きな手応えを感じる。 その一方で、外部世界(目に見える世界/肉眼で捉える世界)の表現の過程で大きな課題を得た年だった。

そして 2015年。 前年の課題を克服するべく、外部世界の表現への道を開いてくれたゴッホにとことん向き合うことに。 その前に、前年からの流れで、3,4月に展示があった。これはいずれも旧作に新作数点を加えたもので、新作も内面世界の表現だったので、この時点ではまだ課題への取り組みは行っていない。

5月、日本に一時帰国。 6月半ばから7月上旬まで、南フランスのアルルへ。ここからゴッホにどっぷり浸かる。ゴッホの画集、そしてゴッホの書簡集に目を通しながら、彼が見た風景、彼が吸った空気を味わうことで、何か分かることがあるのじゃないか。

しかし、ここであまりにも彼に近付き過ぎたために、彼のようではない僕という存在の非力さ、小ささを知ることになり、自信を失う。彼のその聡明さ、意志の力やストイックさに強い憧れを持つ。


こんな風にメモ書き程度の文しか書けないことに不満を覚えながらも、でも今はこうして切り抜けるしかないのだ。

ベルリンに戻ってからも、彼の書簡を読み続ける。少しずつ彼との距離を置けるようになって気持ちも幾分落ち着く。


ゴッホの凄さは分かった。今の自分にはまだまだ遥か高みにいる存在なのだ。


さはさりながら、僕の抱えている課題についてのヒントが見つかっていない。ただ相手に凄さに溜息をついていても仕方がないのだ。


そんな折、彼が画家として修行するにあたって、最初に取り組んだデッサン教本の名前が載っているのを見つける。


幸いその本の復刻版がまだ残っていて、早速取り寄せる。

内容は基礎中の基礎、石膏デッサンの解説などが書かれていた。この本はデッサンの訓練の仕方が確立されていなかった当時では画期的なものだと解説にあった。


残念ながら、この本を元に、彼のように一人黙々とデッサンの訓練をするという意欲は湧かなかった。元々興味の無い分野だったので、これを機に少しは自分に変化があるかと思ったが、そうはならず。


それではと、知人の進めで、デッサン教室に通ってみることに。


一人で訓練するのと違って、先生がいて、周りに他の生徒がいると俄然集中できる。


これって、周りの環境にモロに影響されている訳で、ここでもゴッホのストイックさと比べて複雑な思いになる。


しかしこれが自分なのだ。開き直るようだが、自分の力を最大限発揮させるための環境を僕は整えなければならない。


全8回のデッサン教室はとても充実したものだった。毎回対象にじっくりと向き合って集中して制作をする経験。これは普段下書きも一切せずに勢いで描き上げるいつもの制作過程とは別物だ。ここで対象に近づく、対象と溶け合うような感覚を少しだけ得たような思いになった。


デッサン教室ではほぼ静物が対象だったので、人物も描いてみたいと思っていたところへ、ヌードデッサンを毎週開いているという近所の施設に行ってみる。


しかしここではモデルが短い時間で次々にポーズを変えるため、対象にじっくりと向き合う時間がなく、距離感に重きを置く自分としては手応えに欠ける。


そういうことで、ここで一旦デッサンの訓練は休止。


それとほぼ同時期に、週末を利用して図書館に通うようになる。これはこれまでの読書の仕方に不満を感じていて、それを解消すべく、色々と試していたところに図書館がハマったため。特に国立図書館は年会費がかかるものの、館内の雰囲気はじっくりと読書するにはうってつけで、ここでの読書で小林秀雄により近づくことができそうだ。


小林秀雄。彼の言葉でよく出てくるのが「歴史家」。彼の中での「歴史」という言葉の定義は、まだ今ひとつ掴めてはいないが、彼の言う「本当の歴史家」とは、小林秀雄初心者の僕が知る所では伊藤仁斎や本居宣長などで、彼らは孔子や紫式部がまるで目の前にいるかのように物事を語っていたという。そしてその小林自身が、伊藤仁斎や本居宣長を現代に活き活きとよみがえらせる。


小林は(僕なりにまとめると)「知る」とは知識を得るだけで、それだけでは活きていない。


「考える」とは対象と交わることで、対象と交わることでその知は生を受ける。


ここに至って、僕は自分の課題、すなわち対象との距離感を縮めるためのきっかけを掴んだ気がした。


時間をかけて対象をデッサンする。対象と自分の距離を意識して、デッサンする。そうして、対象と交わる。


2015年はここまで。


一年かけてなんとか種を手に入れた。


どんな実がなるのか分からない。


今年はなんとかこの種を芽吹かせたい。



まあ、言い回しや分量など、もっときちんと書きたいのだが、今の自分にはこれで精一杯。


今年もあと11ヶ月しかない、目の前にあるやりたい事や課題に新鮮な内に取り組まなければ。



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