ここでは、2014年にメモ書きしたものの中から、特に心に残ったものを取り上げています。抜粋ということで、簡単にしかまとめておらず、分かりづらいところもあるかと思いますが、メモした時の臨場感を優先したということで、ご容赦ください。あくまでもメモ書きなのです。
・歴史について
歴史は超越的視点から記述された「理想的年代記」ではない。
それは、人間によって語り継がれてきた、
無数の物語文から成るネットワークのことである。
・死道理と活道理
伊藤仁斎による「死道理」「活道理」の議論は、そのまま作品作りにも応用できる。
理性で世界(作品)を創造しようとするのか、
不確実な世界と対峙し、場当たり的ではあるが、
その時の最善を尽くし、それを後から解釈するのか。
・僕の制作スタイル(2パターン)
対象物との共同作業。
自分の内側から何モノかを取り出す作業
・絵という物語
絵を描きながら物語を作っているという感覚。
混沌から情報を拾っていく作業。
出てくるイメージは全く新しいものだろうか?
それとも記憶の片隅に眠っているものだろうか?
出来上がった作品は、どこかで見たような印象もあるからだ。
・混沌から自分を見つける
これまでも見えていた、混沌の中の何か。
でも、これまでは、それを形に、作品として具現化させる術を僕は持っていなかった。
それが、絵画の個人レッスンを通じてできるようになった。
・人生の縮図
絵画制作を人生に置き換えて捉えている。
一枚の絵には一つの人生、物語が内在している。
・レールの話
大学の時に将来を想像し、絶望的な人生が見えた。
何も考えなくても生きていける社会。
死を近くに感じることがない社会。
いずれ全ての人が死ぬのにも関わらず!
死に向き合う経験から、僕は死ぬことを知った。
生きることと死ぬこと
・自分を見つめるわけ
僕はどうして自分というものに興味があるのか。
自分を行動させて、そこから自分という媒体を通して世界を知る。
間に自分というものを挟んでいるのを意識するかしないかで、
世界への捉え方は全然違ってくる。
僕らが見たり感じたりしている世界、
それを表面的に捉えてしまうと、それが世界の本当の姿と錯覚してしまう。
しかし、その世界は生まれた時代や場所、
そしてその人の性格、年齢など実に様々な条件によっている。
そうしたら見える景色も当然変わってくる訳で、
それを踏まえると、この世界の真理なるものに辿り着こうとするならば、
媒体となっている自分という存在を抜きには考えられない。
だから、真理に到達しようとするならば、
徹底的に自分を見つめる必要がある。
そこから始めて、自分を知った先に自分を超えたものが出てくるのではないか。
・本居宣長の言葉
「君主の学は私のためにす」
・自分と世界
自分とは一体何者なのか?
この世界とは一体何なのか?
それらを追求し、表現し、形にすることで、さらに追求する。
・長年の消化不良感
好奇心が旺盛なのはいいけれど、
一つ一つが浅いままで、次に目移りしてしまっていた。
そしてそこに消化不良を感じていたんだ。
・その言葉、どこまで分かって使っているか
日本語の文章ですら、よく分からずに読み流している言葉がたくさんある。
というか、そんなのばかりだ。
まず、分からないことを認識して、それを辞書で調べること。
それでもまだ不十分だが、まずはそこから始めよう。
ドイツ語での分からない単語は当然辞書で調べるが、
それが日本語だと、雰囲気で分かったつもりになっているものだから、
今さら、という感じで流してしまう。
・小林秀雄の言葉
「正しいことなら子供でも分かる。
正しいことではなく、自分の中の真理を知ること。」
「学問するのに大事なことは、怠らないことだ。
長い年月をかけて学問ができるか。
一生懸命できるか。
怠らず学べ。
いかにして学問ができるか。
方法論は易しいが、そんな手軽に学ぶことはできない。」
「昔の人は本を読む、その読み方が違った。
一冊の本を何度も繰り返し読んだ。
伊藤仁斎という人は論語という本を50年かけて読んだ。
本を読むことは一人の人間、異性と付き合うようなもの。」
「本という物の意味が今日と全く違った。
何冊もの本を読んだところで本の実義は分からない。」
「江戸時代の「考える」とは言葉に交わること(思って得る)。
現代の「考える」とは科学的事実を見ること(学んで知る)」
本 読書=人と出会うこと
言葉 言葉を生み、それを受け渡してきた人々と出会うこと。
人に近づくこと、人と一体化しようとすること
・伊藤仁斎
熟読、精読
・一字に思いを込めて
一冊の本に集中するように、一つのテーマに集中する。
一字に思いを込める。
一字に一枚の絵を描く程の気持ちを注ぐ。
一文字の中に入っていく。
・絶対を飲み込む
西欧人から絶対性を学び取りたい。
自分の中の不完全感。
それは、この世界が不確実(絶対的なものが存在しない)という思いがあるから。
従って、西欧人の持つ絶対性も、そこに綻びがある、と考えている。
ただ、僕の理解とは別に、絶対的なものを魂の次元で欲する自分が居て、
そいつに近づくためにも
一度、不完全な絶対を飲み込んでおく必要があると感じている。
・理想のかたち
一人の人間としての理想像は、フィンセント・ファン・ゴッホ。
絵画―言葉にならないものは絵で、
言葉―絵にならないものは言葉で、
自分というものを、この世界に刻もうとした。
言葉と絵、その両方をバランス良く使いこなしたい。
言葉になることは言葉で、
言葉にならないことは、言葉にできないということを言葉で表し、
あとは絵で表現する。